2017年5月12日金曜日

自分にとってのリアリティ


ゾウ、ライオン、キリンといった動物園の花形達が、
日本から消える日もそう遠くない。

なぜなら、
動物園の動物達も、
人間と同じように高齢化が進んでいて、
今いる数頭の動物が死んでしまえば、
ワシントン条約などの規制により、
海外からの購入が難しいから。

また、
個体数の少ない動物達を、
日本の劣悪な飼育環境で近親交配させているため、
生まれたとしてもすぐに死亡する場合や、
母親が育児放棄する場合が多々あり、
次世代につながらず種の保存が難しいから。


未来の空っぽの動物園に、
建築で何ができるだろうか。
何もできないのではないか。
僕の「動物のための建築」を考えたいという想いとは裏腹に、
現実は厳しいものであった。
題材にしようとしていたはずの動物達が、
私たちが動物を管理・展示・飼育するために造った、
アスファルトの展示場と鉄格子を残して死んでいく。

これが今僕が動物園に抱くリアリティ。


そんな状態にも関わらず、
人間以外の生き物を徹底排除し、
食物連鎖のヒエラルキから逸脱し、
建築内外と街路の関係性に閉じこもり快楽を感じ、
無尽蔵に立ち上がっていく建築を良しとするような、
自分も含めた都市の人々は、
まるで悪魔のように思えてきた。
空っぽの動物園は、
そんな悪魔的都市を映し出す鏡のようだ。

生物的観点と監獄的観点から見える都市の2つの悪魔性。
それを「二匹の悪魔が都市に住んでいる」と表現することにする。
そこから脱出するための装置として建築を考えたい。
それがきっと多様な都市の建築を生み出すための、
重要な2つの観点であるはずだから。
空っぽの動物園が教えてくれた都市の悪魔性に対して、
僕は何を建築できるだろうか。

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